北陸鉄道−浅野川線・内灘

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'82-3-7 内灘
モハ5100形 5101

'82-3-7 内灘
クハ1200形 1203
(元河南線 モハ1821)

'82-3-7 内灘
モハ3010形 3011

'82-3-7 内灘
モハ3560形 3563
(元温泉電軌デハ19→北陸モハ1803)

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'82-3-7 内灘
モハ3550形 3551

'82-3-7 内灘
モハ3560形 3563
(元温泉電軌デハ19→北陸モハ1803)

'82-3-7 内灘
モハ5100形 5101

'75-11-4 七ツ屋
車庫跡




'82-3-7 北鉄金沢
モハ3300形 3301/クハ1210形 1211


(北鉄金沢駅は下記アルバムをご覧下さい)

”北陸鉄道−浅野川線・北鉄金沢駅”


 
 北陸鉄道浅野川線は、浅野川電気鉄道によって開業
 された路線であり、内灘近くに粟ヶ崎遊園地を開設し
 多角経営に努めたり、終点の粟ヶ崎海岸への海水浴
 客輸送などを目的に運営されたが、共に閉鎖となった。
 現在は内灘を終点とする通勤通学専門の路線である。
 
 この当時は、北陸鉄道に統合された他線区から移動
 して来た、生まれも育ちも異なる車両が集まっていた。
 何れも個性が強いながらも貫通扉が追加改造される
 等、統一された趣きがあり、クリームとオレンジの如何
 にもローカル私鉄らしい小型車達が好ましかった。
 
 七ツ屋から内灘へ車庫が移転されたのは'74年11月で
 あったが、当時は情報も少なく調べる術も無かった。
 翌年秋に車庫訪問のために七ツ屋で下車してみたら、
 建屋のみ残る"もぬけの殻"だったのには呆然とした。