長野電鉄(5)−須坂・75年4月

画像をクリックして拡大写真をご覧下さい。

html/ngr51.htm

html/ngr52.htm

html/ngr53.htm

html/ngr54.htm

'75-4-30 須坂
2000系 A編成
(モハ2001 他3連)

'75-4-30 須坂
モハ610形 612
(元デハ352)

'75-4-30 須坂
モハ300形 302
(元モハ151)

'75-4-30 須坂
クハ1060形 1062
(元デハニ11)

html/ngr55.htm

html/ngr56.htm

html/ngr57.htm

html/ngr58.htm

'75-4-30 須坂
ED5100形 ED5101
(元定山渓ED500形5001)

'75-4-30 須坂
ED5000形 ED5001
(元ED501)

'75-4-30 須坂
モハ411形 411
(元東武デハ13)

'75-4-30 須坂
国鉄 169系 志賀1号




'75-4-30 須坂
モハ1500形 1502(元モハ1052)


(他の須坂の画像は下記をご覧下さい)
"長野電鉄(2)−旧性能車"
"長野電鉄(4)−2000系"


須坂駅は長野市の東方に位置し、かつては製糸業で栄えた工業・観光都市である須坂市の代表駅である。

長野線と河東線の分岐駅であり、3面5線の堂々たるホームを有し、構内には留置線も多く、検修庫や工場に加え乗務員区、保線区が集まる中核駅となっていた。
ホームに降り立つと貨物も含め様々な列車が行き交い、暫し時間を忘れて撮りまくった。

長野と湯田中を結ぶ通称「本線」では、2000系有料特急が観光客やスキー客を満載して30〜60分毎に運転され、 湯田中行には「奥志賀号」、木島行には「のざわ号」のヘッドマークが掲げられていた。

須坂〜屋代間は通称「屋代線」と呼ばれ、基本は線内折返し運転であった。国鉄169系を使用した上野発急行「志賀」が、有料の"連絡急行"として信越線・屋代経由で一日に2本だけ乗り入れていた。